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天皇陛下のいとこ、三笠宮寛仁(ともひと)さま逝去 [ニュース]





こんばんは (^^)/

久しぶりの更新になってしまいました (>_<)
実家の母が入院・手術ということになって・・・

手術も無事終わり ♪
本日から、また、「今、旬(しゅん)の情報、最新のニュース、話題の出来事、
注目!のテレビや映画情報など」を日々配信していきたい!と思いますので、
これからも読んでやって下さい m(__)m

よろしくお願いします (^^)/



「ひげの殿下」で有名な三笠宮寛仁(ともひと)さまが亡くなられました。

本日、6日午後3時35分。
66歳。


天皇陛下のいとこで、「ひげの殿下」として知られる三笠宮寛仁さまは、
今年1月に、のどのがんを切除する手術を受け、入院を続けていましたが、
容体が悪化して、6日午後3時35分、亡くなられました。


三笠宮寛仁さまは、平成3年の食道がんの手術以来、
のどなどにできたがんのため、これまでに16回の手術や治療を受けた。

昨年12月、あごの右下部にできた腫瘍治療のため、
杏雲堂(きょううんどう)病院に入院し、今年1月に切除手術を受けた。

その後、食べ物の通りが悪くなるのどの通過障害がみられ、
3月2日にがん関連の16回目の手術として、
のどの軟骨を切り取る手術を受け、入院を続けていた。

病理検査で、腫瘍は口の中からのどにかけての広い範囲におよぶ癌だったことが分かり、
寛仁さまは入院を続けて手術後の治療を受けていた。


1日の夕方に吐血して容体が悪化し、
父の三笠宮さまと母の百合子さま(89)も、3日夜に2時間近く見舞っていた。
訪欧中だった長女彬子(あきこ)さま(30)が6日朝に帰国し、見舞ったばかりだった。


寛仁さまは、昭和21年1月5日、三笠宮家の長男として誕生。
昭和天皇の弟である三笠宮さま(96)の長男で天皇陛下のいとこにあたる。


みずからを「福祉の現場監督」と呼び、
福祉団体の会長を務めて障害者の自立を支援したり、
学生時代に磨いた技術を活かして、
障害者のスキーの指導に当たったりするなど、
障害者福祉に積極的に取り組む。

また、日英協会や日本ノルウェー協会の名誉総裁として国際親善にも務める。

一方で、癌の研究基金の総裁として、癌の撲滅運動にも取り組む。

ご自身も癌との闘病が長く、
平成20年の手術では声を出すことができなくなり、
人工喉頭と呼ばれる器具をのどに当てて会話をされるようになった。

この他、アルコール依存症や不整脈の治療のため、たびたび入院。

昨年5月には、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県を訪れて、
被災した人たちを励ますなど、昨年まで精力的に公務を続けられていた。



昭和55年11月に信子さま(57)と結婚。
信子さまは、麻生太郎元首相(71)の妹で故吉田茂元首相の孫に当たる。

昭和56年に長女の彬子さま(30)誕生。
昭和58年に次女の瑶子さま(28)誕生。


本葬に当たる「斂葬(れんそう)の儀」は1週間後をめどに、
東京都文京区の豊島岡墓地で行われる見込み。


皇位継承順位6位だった寛仁さまの逝去による
新たな順位は以下の通り。(かっこ内は年齢)

 1、皇太子さま(52)
 2、秋篠宮さま(46)
 3、悠仁(ひさひと)さま(5)
 4、常陸宮さま(76)
 5、三笠宮さま(96)
 6、桂宮さま(64)


82年4月、前例のない皇籍離脱を申し出る。
小泉政権当時の2005~2006年、
皇室典範改正論議で、女系・女性天皇容認の動きに異を唱える。
(毎日新聞のインタビューなどに答えて)

など、一風変わっていて、いろいろと波紋を呼んだ「ひげの殿下」の逝去。

障害者福祉にも熱心に取り組まれていただけに、
惜しまれますね!

ご冥福をお祈りします。






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